junのうつライフ

2018.4月【自律神経失調症】にて休職→退職→無職→転職失敗→パワハラ 日々の出来事や雑記をつらつらと。

高齢者との付き合い方は難しい【善意とは】

こんにちは、うつブロガーのjunです!

 

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我々が住む日本では高齢化が止まらない。これからもどんどん高齢者の割合が増えていく、少子高齢化社会。

僕が住む街でも約3、4人に1人が65歳以上の高齢者。

 

この間たまたま高齢者の方とちょっとした交流があったので、今回はその時の話をしようと思う。

 

 高齢者との付き合い方は難しい

先日、僕はいつものようにゴミを捨てに行った。

僕の住む賃貸には入居者専用のごみステーションがないので、近くにあるごみステーションに捨てている。

これは北海道ならではなのかは分からないが、電柱にネットがぐるぐると巻き付けてあり、歩道にゴミ袋を置き、一番最初に捨てる人が電柱に巻き付けられているネットを解き、歩道に置いたゴミ袋に被せる。カラス除けだ。

回収の時間付近になると歩道にゴミ袋の山ができている。

そんなゴミステーションに僕はゴミを捨てている。

 

ゴミは嫁が捨てることもあるのだが、以前こんなことを言っていた。

嫁「おばあちゃんがゴミをカートに引いて持ってきていたから大変そうだなと思って手伝おうと思ったら丁寧に断られたんだ~」

僕「そんなことがあったんだ~。手伝おうとして偉いね~!それにしてもそういった掛け合いって難しいよね~」

なんて会話があった。

 

そして僕もそのおばあちゃんと出くわすことになる。

 

 

おばあちゃんと遭遇

僕がゴミを出そうとごみステーションに行くと、腰をずいぶんと曲げながらゴミ袋が丁寧に括り付けられたカートを大変そうに引っ張りよいしょよいしょとこちらにくるおばあちゃんがいた。

「お、あの方がこの間嫁が言っていたおばあちゃんか」

僕が我が家のゴミをネットの中のゴミの山にぶち込み終わったあたりでおばあちゃんは到着した。

そして僕も挨拶がてら聞いてみることにした。

 

「おはようございます!やりますよ~(^^♪」

 

僕はこの何気ない短い発言をいくつか工夫をして言ったつもりだ。

・まずは元気の良い挨拶で不信感、不安感を軽減させる。

・「やりましょうか?」の提案系ではなく、「やりますよ!」と断言する。

 

そしておばあちゃんの返答がこちら。

 

 

丁寧に断られる

おばあちゃん「おはようございます。お気遣いありがとうございます。あなたの大切な時間を奪うわけにはいかないので大丈夫ですよ。ありがとうございます。」

 

僕はこの言葉を聞いた瞬間、軽くお別れの挨拶をしてすぐその場を去った。

僕の勝手な主観でしかないが、[このおばあちゃんは自分でやりたい人だ]と思ったのだ。

・丁寧な言葉遣い

・とても綺麗にまとめられ、綺麗に縛られたゴミ袋。

・まるで宝物のようにそのゴミ袋をきっちりと丁寧に括り付けられているカート

 

聴覚・視覚から入ってきたこれらの情報で僕は瞬時に先程の判断をし、それ以上は踏み込まなかった。

もしかしたらこの[ゴミ捨て]の行為が、おばあちゃんにとっては大切な生活のルーティーンの一部なのかも知れない。

最初から最後まで自分でやることで生活に潤いをもたらしているのかも知れないと。

 

考え出したらきりがないので、そう自分の中で結論付けることにした。

これが正解か不正解なのかはおばあちゃんにしか分からない。

 

 

自分の考える善意が相手にとっての善意とは限らない

本当はおばあちゃんは手伝って欲しかったのかもしれない。

しかし僕はあえてもう一歩踏み出さなかった。

自分の考える善意の押し付けになってしまうと思ったからだ。

 

電車に乗っていても似たようなことによく遭遇する。

[席を譲る問題]だ。

「そんなに年寄りに見える?」と怒られたこともあったし、

「本当にありがとう。お兄ちゃんは優しいね」と黒糖のアメを貰ったこともある。しかも2回も。今僕は黒糖アメポイントが2つ溜まっている。5つ溜まればJRから表彰されるのかもしれない。

おじいちゃん・おばあちゃんがカバンに黒糖アメを持っている確率を今度誰か調べて欲しい。

 

ふざけるのは程々にして、本当に相手にとっての善意を考えるのは難しいってこと。

 

まとめ

善意とは自分で決めるのではなく相手からの評価なのだと最近思うようになった。 

 

善意は[感謝]として返って来ることもあれば、善意は時に[おせっかい]になり相手に不快感を与えてしまうことにもなりうる。

ご高齢の方に限らず、他人の考えていることは自分には分からないし、勝手な予想をすることしかできない。

 

これからますますこういった場面に遭遇することになるだろう。

また余計なお世話だと怒られてしまうかもしれない。

結局、正しい高齢者との付き合い方は分からないが、よく観察をし、会話をし、少しでもヘルプサインだと感じた時にはすぐさま手を差し伸べていこうと思う。

 

なぜなら僕をここまで育ててくれたのは、親はもちろん地域のおじいちゃん・おばあちゃんなのだから。

 

 

以上、たった一度のゴミ捨てからこの高齢化社会における高齢者との付き合い方を考えさせられたお話でした。

 

 

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